「 霊肉一元論宗教」
新約聖書が正典として確定したのは、3世紀または4世紀中頃とされていますが、
お釈迦さんの話も、お釈迦さんが入滅(死亡)して間もなく、
高弟達が、あちこちのサンガに、呼びかけて結集(けつじゅう)・編集会議がなされました。
ここで、人々は、我は師から、是々の如く聞けり
「如是我聞(にょぜがもん)」「如是我聞」と語り合って、
皆の記憶に留めようとしました。
二度目の大結集が行われたのがその百年後、
「我はかくの如く聞けり」と語り合って、この時に書類にもされましたが、
完全な文章にする経典結集がなされたのは
アショーカ王の時代の五百年後だとされています
亡くなられた、増谷文雄教授は、福岡県のご実家が
お寺ですから、研究途上では、仏教はやはり、生まれ変わりの
輪廻転生も言うのだろうか、、との、疑問を持ちつつの
著述もありましたが、ある時から、
ガラリと考えが変わられたのは、アーガマの完全翻訳以来
のことと、私は見ています。
また、本願寺派の親鸞上人研究の第一人者の山崎龍明氏
(武蔵野大学教授が助教授の頃の2003年に、
「仏教の再生・親鸞・不退への道」大法輪閣発行、2,100円(本体2,000円+税)という本でも
死後世界については一切触れていませんでした。
だだ、阿含経に、新入りの弟子らしい人が、
お釈迦さんのサンガ(教団内)では、当時の常識だった不思議話や
死後世界のことを一切語らないので、不審に思ってお釈迦さんに尋ねる話があります。
それが有名な「毒矢の喩え」です。
sその(23)「毒矢の喩え」へ続く