私は神社が好きです。
神社には歴史が冷凍保存されている場合が多いし、神社の杜(もり)があるからです。
毎年8月になりますと靖国神社への総理大臣の公式参拝でアレコレ論議されますな。
私はどんな事柄についても、大マスコミなどのよる情報の先入観から、ものを考えて、よい、ワルイを判断しないようにしています。
良い、悪いで決めるのは、対立と、感情や意地での、勝ち負けに、こだわらせ、話が浅薄なところで終わることが多かったからです。
だから何事も、「時間と手間」が掛かりますが事実、真実を調査して、それから思考する習性が身に付いてしまいました。
靖国の前進は明治2年の東京招魂社でした。
12年には靖国神社と改名され、新政府樹立の為に戦死した人々を英霊として合祀しました。
もとより、新撰組や東北諸藩など、薩長軍と戦かった戦死者の霊は除外ですね(^^)
賊軍ですからね。(実は会津藩も明治天皇の義兄弟を擁立していたのですが)
だからそのとき、庶民の間で、「勝てば官軍、負ければ賊軍」の揶揄が生まれましたな。
靖国神社は日本の神社神道の伝統からいうと、異色な神社ですが、その理由を述べたいと思います。
昔、余りにも大秀才で、やり手で、天皇にも気に入られていた菅原道真という人が右大臣にまで出世しました。
これはヤバイ、と思った藤原一門は、道真の失脚を謀って、ついに道真を当時のド田舎、いわれる九州の大宰府の長官の身分への陥落に成功させました。
道真は無実の罪の悔しさに、非業の最期を遂げました。
その後、藤原氏の中でも、良心咎める者や、当時にあった「御霊信仰」から、怨んで非業の最期を遂げた者の魂は、加害者に祟って、運命が悪くなる、という信仰から、道真の霊の安らかなる「鎮魂」タマ鎮め、のために、神として丁重に祀るということを盛んにやりました。
それが東京の湯島天神など、今も各地に残る天神天満宮です。
お受験競争のご隆盛時代、近年は学問の神様に変容して、各地で人気がありますが(^^)
藤原氏が聖徳太子の怨霊を沈めるために法隆寺の建立を完成させたのも、そんな一因もありました。
信長神社、豊臣神社の建立も、同じ理由です。
またそうしないことには、それぞれにフアンの人民がいて、感情的な抗いもあります。
やっつけた側の加害者としても、そんな人々の人心掌握のためにも、神として祀るのが、良策というものです。。
と、このように、加害者が、被害者を、尊(かみ)として奉て祀るというのが日本の、まあ、優しみのある伝統でした。
昭和の15年間戦争で相手国の人々も大量に死亡しました。
ま、日本の神社神道の伝統からいえば、相手国の犠牲者の霊を、神として祀る、ということになるわけなのです。
まあ、[そんなこと必要ない!」
と言う人もいるのは承知ですが、まあ、それまでの、日本の神社神道の伝統では、そんな型となり、その点で、靖国神社には、これまでの歴史にはなかった、稀有の思想神社なんだな、というわけを述べたですな。
靖国神社について、その①
その②は、霊魂観から見る、靖国神社の性質です。