明治以前は上の写真のような「陰陽」の陽物の石が、「尊」なるものとして、あちこちに祀られていました。
明治に入って、キリスト教思想が伝播すると、新政府は、先進国の欧米人に、イヤラシクて野蛮だと思われてはイカン、からとして、上の写真のような信仰形態を、「淫祀邪教」淫らなものを祀る邪な教えとして、日本各地の郡長などに、取り払いを命じました。
こんなことからも、明治以降、それまでの日本人の、下半身に対する考え方も変化して行きました。
ま、明治6年の徴兵制などの実施にも、その方が都合がよかった事情もありますが、、。
でも長い伝統は、なかなかに潰せるものではなく、今も各地にわずかに残存しています。
川崎市川崎区の金山神社では、マラ祭りもあり、戦後は、盛んな賑わいを見せています。
でもここで言いたいのは近年、ますます広がっている、奇態な形の「解放された性」を良しとするものではありません。
10代の少女の、セックス体験競争や風俗という名の、射精産業の殷賑は、異常としか思えません。
そのためもあってか、HIVの感染者の数が増え続けているのが、先進国では日本だけというデーターも出ています。
これは根本、性と聖を見失った姿です。
川崎市などのカナマラ信仰はヘビを神とする、古来からの、巳(み)様信仰の延長上にあるものです。
蛇はとても生命力の強い生き物です。私の子供時代でも
「ヘビは死んだようでも、水に漬かりおると、不思議と、また生き返りよるのやぞ」
と、大人たちから、何べんも耳にしたものでした。
また蛇は手も足も無いのにシュルシュルと早く動くところから、人間は脅威と敬意の念を持ったのでしょう。
また蛇は、お互いの身体を絡ませて睦みい合い、性交の時間が長くて、逞しい生命力を感じさせるところから、蛇を神様とした信仰はエジプトやインドなど世界中に分布しています。
中国でも人祖とされた、女神の女禍や男神の伏儀の姿の古画は、顔は人間、身体は蛇身で表現されています。
日本の古語では先祖のことを「カカ」と言いましたが、カカはヘビが目をキラリと光らせた様子を「カカ」と、発音したようです。
そんなところから親のことをカカ、地方のよっては、訛ってハハ、そしてやがては、産みの親のことを「母」と呼ぶようになりました。
上の写真は「注連縄」とそれにぶら下げられたのが「切り下げ」というものです。
シメナワは蛇が絡まって性交している姿を表わしています。切り下げも同様の姿を象徴したものといわれていす。
正月に神棚などに供える、鏡餅も蛇がトグロを巻いた姿を象徴しています。
蛇神信仰の名残は、現在でも地方によりますが、お産や、葬式などの儀礼や習俗習慣野中に、まま、見ることができます。
その①。