「古流実戦剣術会」・代表とみ新蔵」の
仲間の
M氏が樫の木製の槍(八尺)と薙刀(八尺ニ寸)を入手した。
特別注文品で槍は重さ1・35キロg
重さ1・7キロg。「日本薙刀連盟使用の薙刀」よりも二倍以上の重さで、
刃の長めの実際の重さと同じくらいだ。
M氏は30年間 武芸十八範修行の人で、槍術の稽古もして来たので、
私は胴体にぶ厚い空手のプロテクターや、腕にも空手の足のプロテクターを利用した籠手を着けて遠慮なく突いてもらった。
自然八双の構えから、槍のケラ首を叩くのは簡単で、
M氏はその度に左掌に衝撃が来て、槍先は私の体の外へ反れ、即、M氏の腕を切断出来る。
次に槍を突いてから、即、槍を回転して石突きで足元へ攻撃して貰った。
幾度実験してみても、槍の回転の途中で、踏み込んでの
私の剣先がW氏の腕や袈裟を撃つ。
私もM氏に槍の使い方を学び、
同様にM氏の胸・腹へ突くも、木刀でハジカれて、槍先はM氏の体の外を突くばかり。
即、槍を回転して石突きで攻めるも、回転の間にM氏の剣先が私の左腕を撃つ。
結果として
「一対一の場合、槍は刀の速さには及ばない」
とのM氏の論。
また、上段からであろうと下段からであろうとも
槍の突きは、
想像以上に遅いものだ。
刀でハジかなくとも、槍先を
半身になってカワシつつ
籠手や裏籠手を切断出来るものだ。
劇画で
「柳生連也武芸帳」を描いたが、そこに誤りがあった事を認める。
M氏は薙刀術も学んで来たので、一番速い撃ちの横面や袈裟へ撃ち込んで貰うも、
木刀でケラ首をハジキ撃つのは簡単で、幾度繰り返しても即、M氏の籠手や袈裟を撃てる。
薙刀は
「持ち換え」と言って、左右へと掌を握り替えて、対手の袈裟や足を撃つのが定法なので、
M氏にそれを幾度も実験して貰ったが、
掌を握り変えるその一瞬に、私の剣先がM氏の籠手や腕や袈裟を撃つ。
結果として
M氏は
この薙刀は重いためもあるでしょうが、「持ち換え」という薙刀を左右へと掌を握り変えての攻撃は、江戸期のどの時代にか、、様式化したものとしか考えられませんね。
とみ流からすると、とても実戦での方法ではないですね」
との論。
また、槍・薙刀ともに、攻撃を刀で受ければ、次の瞬間に
柄へ刀刃を滑り込ませてズンバラリと手指切断が出来るものだった。
塚原卜伝が薙刀の名手、梶原長門を斬り撃ったとの逸話も納得できる。
今度はM氏と槍と薙刀を交替に持ち替えて、
立ち会ってみた。
結果として
持つ掌によって間合い遠近が自在 な、
薙刀は刃の反りを回転させつつ、首などへ突き斬れるので私には薙刀の方が有利に思う。
いずれにせよ攻防で、
柄先が交叉するので、
柄先のネバリの強さ が勝敗・生死を決するようだ。
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