明治以降なのかは判りませんが、面を撃つのを 最も「
技あり」とします。
でも頭蓋骨は堅いものです。
また、
兜や、荒木又右衛門のように
鉢金を付けていたら、さらに堅いものです。
剣術は殺人の技ですから、面よりも
袈裟(首根)を撃つ方が頚動脈もあって、効果的です。面への撃ちは、頭の骨が堅く、さらに兜や鉢金を付けた対手には、有効ではありません。
剣道では無効となっている
「袈裟撃ち」が有効です。
たとえ兜をかぶった対手でも兜の鉢よりも、
袈裟(首根)に当たる部位の
「しころ」の方が、刀刃がメリ込み易いからです。
ここを活かしたのが薩摩の
示現流や薬丸示現流でした。
また、足撃ち・腋の下・コメカミ・太い血管が走る股間撃ちも効果的です。
でも最も取り易いのが籠手・裏籠手です。
当会でも、竹刀も使用しますが、竹刀は反りが無いので、模造刀や木刀の妙味は活かせませんが。
正眼で構えることはありません。
正眼からの撃ちは一旦上へ上げてから撃ち、いわば(1)(2)の
二拍子になるわけです。
竹刀剣道ではルールのある制約上、面撃ちを最良としますから、正眼が多いわけです。
「剣術」でも一応、正眼の使い方はもあります。
対手の来るところの喉元を突き易いからです。また片手で突くこともあります。
でも「突き」はあくまでも
「後の先」です。自分から「突き」に出ることはありません。
それゆえに「上段」か「自然八双の構え」か「下段」かになります。
「脇構え」は対手の籠手や面や袈裟への攻撃を誘ってから撃ちます。
剣道では
「スリ上げ面」という技があって、決まったときは見事なる観があります。
でも実際にスリ上げ面を実験してみますと、
刀に
「ネバリの入った「刀勢」では、スリ上げるのが重く、面へ決まるのは、なかなかに、難しいようです。
また、剣術ではフエイント技は通用しません。
仮に右袈裟を撃つと見せて左袈裟へ撃ったり、面へ撃つと見せて胴へ撃ったり、
足へ斬ると見せて袈裟へ撃ったりの、フエイント技は、
一瞬の隙を出し、次のへ攻撃へと移行する前に打ち込まれるものです。
「ああしたろ、こうしたろう」の、小細工は効き目がなく、返って自分のどこかを斬られるものです。
刀の刃は鋭利な物で、
刀を抜き放って、対峙・決戦するときの基本は
「死ぬか・生きるか」 ですから、
剣先へいのちを掛けて
「一気・一機に撃ち込んで」勝負に出るしかないわけです。
刀で仕合うなどは誠に、怖いものなのだなあ、と思うしかありません。
しかし私は現代剣道をケナすものではありません。この点は勘違いしないでください。
現今ではますます、特に役人など、目先の「自己保身」だけに囚われて、社会のムダ飯ばかりか、社会へ害をもたらすヤカラも多く、日本古来からの良い意味での庶人を思う
「武士気質、サムライ・スピリット」が失われているので、往昔の
「剣術思考」を遺しておきたいと願っているのみです。
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