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http://www.flickr.com/search/?q=tsuba
イメージ検索してみて、刀に対する私のイメージが少し変わりましたとの、コメントのokada氏へ。
そうですがな。鍔は外国でもサムライ・アートとしても知られています。
「うむむ~~う、、」と感じるのでしょうね。
私は刀剣の鑑賞が専門で、鍔の鑑識は到りません。
でも、この貴殿検索の
鍔サイトでは見られないものの、桃山期の鍔工、信家や、
金家、江戸初期の肥後鍔などの超一流品が、デザイン、鉄味、肉置き、錆び付けなど「ウウ~~~ウ」と、頭の下がるものとは判ります。
左上の金家が、濃厚な意匠もなく、一見タダの平鍔のようにみえますが、谷に向かって釣り糸を垂らしている菅笠をつけた人物、もちろん魚を釣っているのかどうか、そんな浅いに世界を表現しているわけではありません。
そして、遠くに幽かな山並、鍔の肉置きと鍛え肌が相伴なって、そこに鍔の範囲から飛び超えて行ってしまい、
無限の奥行きと広さの世界に誘われてしまいませんか、、、。
もし、そんなものが感得できたとしたら、金家の境涯にチト触れたといえましょう。
時は乱世です、何時死に果てるやも知れない武人達だからこそ、余計に、こんな、境地の高いものを、好んで求めたようです。
元禄以降の、北斎、歌麿などの天才的名人達も、及ばない、深厚な、禅芸術の至高に思えますが、いかがでしょうか。
ただ、現代人には、元禄以前の文化境涯はチト懸隔があり過ぎて、感得し難いかもしれません。
幕末明治の名人の
加納夏雄などの方がピンときて、解りやすいのですね。
このことは、刀剣にも言えます。刀剣鑑賞の年月が長くとも、鎌倉期の刀剣の「本当の良さ」を精髄まで、感受するには、甚だ、難しいものです。
何事も極めようとすると、奥の深いものでござりもしてなあ、、。
現在、鍔、サムライ・アートは国際価格になっていますね。