心不全で突然死した。(17年前から不整脈があった)
カミさんは若いころからクラシックギターに熱心で、東京銀行へ勤めながら、
小原安正や高嶺巌に師事して、1日に何時間も練習し、アンドレス・セゴビアのような音が出せる
プロを目指していたと言っていた。
が、昭和四四年4月に私と知り合うこととなった。当時私は3人の女性と交際していたが、小学一年から学年ダントツ成績で、また読書家で、まるで生き字引きのような人なので勉強にもなり話も合い、
またネバリ着くような色白もち肌なので、私は二日に一度は彼女のアパートに通ったものだった。その秋には堅い銀行員が、やくざな劇画屋とケッコンし、
以来、3人の母親となったので、ギターを弾くことはなかった。
子供が小学校へ行く頃になって、私は幾度も練習を進めたが、
稽古を一日休んだら三日遅れることを承知していたので、
「、、私はギターを捨てたのよ、、、」と言っておったっけ。
長年使用されなかった、荒井勝己の手工製クラシックギターが遺った。
今年の6月末にそのギターを埼玉県加須市に住む荒井勝己ギター工房へ持参して、見せた。
荒井さんは自作ギターとの44年ぶりの出会いに、音も良く出来が良い。
と感動していた
サウンドホールには 昭和四四年二月 為 野中真智子嬢 荒井勝己製作
と達筆な字が書いてあるが、この字は「為書き」と言って荒井氏のギターの師、ギタリスト兼作曲家横尾幸弘氏の書いたものだと言う。 荒井氏もギターの名手で真智子の好きだった曲を弾いてくれたが、その時に真智子のギター演奏の記憶が思いだされて顔をクシャクシャにして泣き、涙が止めどなく溢れた。
横尾氏は歯科大学を途中でやめてギター演奏にいのちを燃やした人だったと言う。
だが純手工ギター製作者と同じで、演奏者も経済的には恵まれず。世界で演奏されている
さくら変奏曲などの作曲も手がけたようだが、印税はン万円代だと言う。
お金には縁が薄くとも、彼らのギター一筋に生きている人生に、
私は、そんな人達もいるんだなあ、と、深く深く感銘した。
写真は荒井勝巳さんの若い頃(黄色いシャツの笑顔男)その横のヒゲ男が横尾幸弘師。
どちらも天才的な人物だと思う。
子供たちはギターはやっていないので、このギターは値打ちの分る人が使ってくれたらと願っているが。