武蔵は舟の
櫂造りの木刀を持って闘ったというが、
どこにも明確な文献が遺っているわけではない。
その後、江戸、中期を過ぎると諸国でも剣術はどんどんと形骸化し、長さに利があるのかも??、、だから武蔵はきっと長い木刀を、、と考えた世間の人々の
風潮・伝聞であって、実際は解かっていない。
劇画 五輪書の初回で
私も世間の風潮に従って、武蔵に櫂造りの木刀を持たせたに過ぎない。
実際の剣術では、
長いと速度も遅くなる道理です。
それゆえ私は武蔵に右半身に捌き躱しつつ小次郎の頭へ撃ち込ませた。
間合いを縮めて行き小次郎に先に撃たせるように誘い、
半身に躱しつつ撃てば小次郎の刃は、武蔵の身体には当たらずに、小次郎の頭へ、
これは
普通の木刀や脇差でも、また短刀なら右手の親指の付け根へも撃ち込めるものなのだ。
「長さに利が有るとの思考」は、剣術への
無知の露呈でしかないのだが。
小次郎の長刀よりも長かったとして長さに利が有るのなら、武蔵は頭へではなく、籠手へ打撃しているわけである。そうしないと
自分も腕を斬られるの剣理であろうに。
スポーツ剣道では半身捌きは無いが、五輪書では
「半身」との言葉が繁く
出てくるのに。
巌流島へ行った時、武蔵と小次郎の像があった。武蔵が高くジャンプして小次郎を襲っている図だが、
ジャンプなどは、
まず1で足を曲げてから、2で跳躍、3で打撃なので、
3拍子もかかるのに(^^)
ま、造形として「立体的な構図」を選んだのは解るが、、。
それにしても
小次郎が左掌を逆手握りにして腕力で引っ張ろうなどは安モンの映画の殺陣じゃあるまいし、お粗末の極み。
何人かの剣術方面の考証者も居た筈なのに、一体なにを考えていたのやら、と噴飯物で残念に思う。
西東京市住人
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