グラスシーリング「目に見えない男女差別」は確かにヨーロッパでは少なくなったとはいえ、まだあります。
これは古代インドのヒンズー教(元は約5千年前からのバラモン教)や、
アダムとイブの話の旧約聖書(文章になったのは4千年前)が母体となって、世界中へ伝播、分布され、人類の頭の中を洗脳し、覆いかぶさっているからです。
人類に「権力機構」が成り立ってから、殺人の暴力だけは女性よりも強い、男が王様になってから、
権力者達が、自分に都合のよい宗教教義を発明、発展させて、政教一致政策のもと、「
これは良い教えなんだぞ、来世で救われるんだぞ」と、民衆に押し付けて来ました。
民衆の中でも差別されているはずの女性が、現世での諦めと、来世への希望へ心を託して、特に熱心な信者さんへと誘導された傾向がありました。
その現象は現代でも濃厚で、実にザンネンで哀しく思います。
ゆえに、男性中心概念社会は古今東西に根が深く、そこにも人間社会が、男の暴力は法律などでも合理化されて来て、不仕合せの連続な歴史であったと感じています。
「
昔の常識、今は迷信」の部分が甚だ多いものです。
これから抜け出るには、まず、人類が、その人自身が、気づいた人から、オカシナ迷信、迷妄部分から脱け出ることも重要条件だと、28年前から考えて来ました。
それがブログのカテゴリの「
世界の死後の霊魂観」の連載でもありました。
そしてそれは、巨大な岩盤を相手にするような、全世界への、私の静かなタタカイでもあります。
このタタカイは言論や文字で行うものです。
また議論で勝っても「無意味」でした。
相手様が自発的に悟って、自分のものとしなければ、意味のないものでした。