5・6話頃から、もはや「剣豪中心劇画」を描くのは、おしまいかも、、
と考えてきた。
柳生兵庫助でイチオウ「剣禅一如」の奥に触れ描けたような気持ちがしたからだった。
そんな経緯から「乱」編集部は次回の連載に「忍者物」を進め、
私もフトその気になってしまった。
だが様々な資料から忍者を研究していくと、それなりの約束事のある武士同士の
試合や闘いとは、全く相違することに気づいていった。
忍者は、目的を果たすためには、手段を選ばないのが常套手段だからだ。
また映画などでもよく使用される棒手裏剣なども、
対手の体や顔面へ突き刺さる威力を付けるための丁度良い距離からでは、
どうしてもモーションが大きくならざるを得なく、チト武芸を身に付けた対手には、左右どちらかの足を斜め前に出した半身に前進してカワせ、
二本目を打ち放つ瞬間までには、剣先が打ち手の横面や首などに届いているからだ。
(このことは武術にシロウトの担当編集者にも、半身カワシを教えれば出来ることだった)
(また、刀で手裏剣を受けるなどは、野球ゲームではあるまいし武術としては無駄・徒労・無意味でこちらの反撃が遅れるだけ)
したがって手裏剣はモーションの見えない闇から打つか、
対手の視界が及ばない背後からなどから、打つしかないこともわかった。
また、よくあるようなカッコイイ「忍者スタイル」などは殆んど無く、
自分が「忍者」だと他人に判るような恰好は敢えてしないもの。
現代の悪、そのものの、
「毒、放火、拷問、爆薬、テロ、通り魔殺人など」
全くルールの無い、いわばアクラツ 虚言 卑怯 汚い手段」を使うのが
「戦国の忍者」というもの。
ヘタに描けばただの暴力劇画、、。
さて、そのような乱世の忍者に、物語りの上で、どのような大儀名文を持ち込ませて行くのか、二ヶ月近く、毎日頭を悩ませている状態だに、、。
妊娠月がきているのに まだお産ができないダニ~~~!
ウウ、ウウ~~~ン。