1919年生まれ。
1943年 東京帝大医学部卒。
学生時代から文学に関心を寄せ在学中に
小説を執筆。
学徒動員で多くの同級生や友人が戦死した悲しい経験から
人間史や近現代歴史に興味を持ったという。
終戦直後、日米「原子爆弾影響合同調査団」の
医師の一員として被爆の実態調査のために
広島に赴き原爆の被害を実際に見聞している。
1951年医学留学生としてフランスに渡り医学研究に従事する一方、文学で、
西ドイツの大学・エール大学・ブラウン大学・ベルリン自由大学、ミュンヘン大学・ブリティッシュ・コロンビア大学などで教鞭を執る。
また、裕福な医者の子として育ち、当時の習いとしての名門私立学校への入学はでなく、
何故か父親が、普通の公立小学校へ入れたという。
その学校で自分よりはるかに出来る秀才が中学校にも進学出来ない実情などを知り、
社会的矛盾を感じ、それが自分の人生のうえに
深い影響を与えていると言われておりました。
1975年に以後、国際的知識人として、時事問題でも
深い洞察で 積極的に評論。
76年 上智大教授となって以降も、スイス・ジュネーブ大、英ケンブリッジ大の客員教授を務め、 論壇で 日本文化を元来の日本的なものと西洋化されたものの絡み合いと再定義。
後年、幅広い知見を生かして、平凡社「大百科事典」編集長。
朝日新聞の連載エッセー「
夕陽妄語」は、84年から24年間続く。
被爆直後の広島を、医学調査団の一員として訪れた経験から、時事的発言では、
軍国主義復活の危険性と民主主義の徹底を訴えた。
60年代はベトナム戦争に反対。
80年代は原水爆禁止世界大会に出席したり、
防衛費GNP1%枠突破を批判。
90年代の政界再編を戦前の「『翼賛議会』に限りなく近づく」と問題視した。
晩年も、教育基本法改正に反対したり、
「九条の会」の発起人となり「武力によらない平和外交の方がはるかに
現実ので経済的」などと主張。
戦後を代表する知識人として、思想、哲学、文学、美術など、人類が築き上げてきた芸術への理解と愛情によって、
慧眼、透徹の論理で 一貫した主張を展開。
このような人を「
真の意味での知識人」
哲人だと思っておりました。
2008年12月5日、多臓器不全のため東京都世田谷区の病院で死去・89歳。
もっと生きて活躍してほしゅうございました。
加藤さんの発足した憲法 「九条の会」 には私も幾度か参加しましたが、今は
日本各地でも党派を超えて九条の会は
大きく輪が拡がっております。
合掌