南北朝時代の長巻(斬馬刀とも言われ、刃渡り二尺から三尺近いものもあるが、鉄砲が伝来した頃から、
短くスリ上げられて、原始の姿を残したものは希少である)
ある時代に、一尺五寸の脇差にスリあげたもので無銘。
部分的に錆が出ていたので、砥ぎに出して、仕上がってきた。
一段と鉄の色が青味を増し、生きた鉄の精気が充満している。
地金、杢目肌基調。
部分的に淡黒く幽玄に、澄み肌移りあらわれる。
刃紋、やや小さく互の目がかった小沸主張の湾たれ調の直ぐ刃。
刃中、小足、逆足、盛んに働く。
同時代の九州筑前の左一派や、肥後の延寿一派の作品でも、北陸街道の鉄でもなく、
東海道の相州物でもなく、畿内の大和鍛治や山城鍛冶の作でもない。
備前とすれば、雲重しかないが、そうも観えず、同じ山陽道の、備中の青江か、その隣の備後の三原鍛冶の作品であろうか、、。
重ね9ミリ・元身幅3・5センチ、先身幅もは3・4センチの刀身には、
3箇所ほどわずかに鍛えキズが出ているが、その豪快さゆえに全く、気にならなくない。
むしろそのキズを、鍛錬の過程が想像されて面白く感じる。
約650年の間、朽ち果てもせず、現代に伝えられた鉄味の妙味に
敬意を覚え、自然に頭が下がる。
(研ぐ前に、巻き畳表で切れ味の感覚を試してみた。
片手での撃ちなのに、身幅と重さがあるためか、スパン!スパン!抵抗も感じなく切れたことに驚いて、とても怖く感じたことを思い出す。
こんな脇差で籠手へ打ち込まれたら、即、切断されよう。)
念ためですが、愛刀家で、長く刀剣研究している人々は、刀剣が武器だったという感覚はなく、
伝統工芸品、さらには美術品と考えているものです。
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