6年前からオムツ当てで、認知症で、2年前から、声も出ず、ただ固まったきりの寝たきり。
三ヶ月前に入院してその後、胃ろうの手術を受ける。
三日前、尾てい骨周辺の辱創・褥瘡(慢性的な圧迫による虚血でその部分の組織に血液が十分流れない状態によって皮膚・皮下組織などが壊死に陥ること)
がヒドイが、退院。
在宅介護で、知人は身体清拭、排泄清拭・入浴など、訪問介護の人達と連携して
頑張っている。
以下は類似した事例。
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祖母は認知症になって約8年が経ちます。
1ヶ月程前から、誤嚥がかなり目立ち、2、3日前からは、水も飲む事が出来なくなりました。
現在は、自宅にて点滴のみを一日に500ml入れておりまが血管を確保することすら難しくなってきております。
医師から、一ヶ月程前に嚥下困難になった時点で、胃ろう造設をすすめられました。
現在の祖母の状態としては、尿の量も一日500をきってきており、体重も落ち全身の骨がかなり目立ち痛々しい状態です。年齢は89歳です。
こんな、祖母が胃ろうを造設した場合、オペに耐えられるだけの体力はあるのでしょうか?
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医師
非常に難問だと思います。
まずご質問のオペに耐えられるだけの体力・・・については、ごく普通の実力の内視鏡医、外科医がいれば手術に耐える力はあると思いますが、本当に必要かどうかについては
私個人としては「?」マークが付きます。
これは医学というより哲学・社会学に類する問題のような気がします。
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祖母の胃ろう造設
胃瘻の家族を1年介護した家族です。我が家の家族も認知症あり、誤嚥で経口摂取ができなくなり肺炎を起こしかなり衰弱していましたが、胃瘻を造っていただきましたが、今となれば後悔も少なからず残っています。
月1回は必ず高熱を出し肺炎に苦しめられました。在宅介護時は吸引や口腔ケアをまめにしていたのでトラブルはなかったのですが、都合でショートスティに出掛けると必ず肺炎を起こして帰ってきていました。
在宅で365日介護できたら違った結果もあったかもしれません。
最後は数回の肺炎で体力が落ち、1年間の胃瘻生活でしたが、本人にしてみれば辛い1年だったのでは・・・、
家族の自己満足の為の1年だったような気持ちも残ります。
忘れられないのは、最後の肺炎もいつものように治ると信じていましたが、意識もなく辛そうな呼吸、閉じた瞼から流れていた涙、本当に1年間ごめんなさいとしか言えませんでした。
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我が家の家族も認知症あり、誤嚥で経口摂取ができなくなり、胃ロウを増設、その後在宅介護、7ヶ月に入ったところです。
誤燕性肺炎と尿路感染症に最も気を使っています。
お陰さまでこの間入院はありませんでしたが、いつかはやってくる入院に、毎日ビクビクおびえています。
仕事を休職しました。日々、痰の吸引、栄養剤の固形化、摘便、口腔ケア、検温、10分間の端座、オムツ交換、胃ロウ洗浄、陰部洗浄、手浴....が日課です。
深夜ベッドの脇にぼっ立って、暖房のスイッチを上げようか、下げようか迷っている自分がいました。自分自身がもうダメだ、と悲鳴を上げましたが、それもやり過ごし親の介護ができることの幸せを大切にしたいと思うようになりました。
親父は早く逝かせてと思っているのかもしれません。介護が俺でよかったのかもわかりません。
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この胃ろう技術での延命は、本人も家族も、医師は辛く、
全体としては誰も幸わせとはならないのでは?
行き過ぎた医療では?
人は「老いて病んで死ぬ」のは法則だ。
適度な時に逝かせる事も重要で、それも医の術でもあろう。
ましてや、医療保険体制への未来へのツケともなるのでは?
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