27、8歳の時、劇画になるような、いい題材がないかいなあ、、、と思っていたとき、明治9年の熊本県士族123人による神風連の乱を知りました。
そこで熊本県在住の研究者、荒木精之氏の「{神風連実記}や「河上彦斎」の本を買って読みました。
西洋化反対の「攘夷]が持論で、9年の「廃刀令」を引き金に、不平士族を見張り、鎮圧するために、地元の熊本城に駐屯する鎮台部隊に、鉄砲も持たず、昔ながらの槍と刀と、鎧などを着たりして急襲突撃しました。
最新兵器を備えた鎮台部隊に勝てるはずもなく、その日のうちに散りじりの敗残の身となって、それぞれ、辞世を残して、各所で切腹など自害して死に果てました。
伝統を守りたい侍の意気や、その誠心は解るとしても、やはり時代について行けない人々。
明治中期まで全国的に盛んに謳われた
「♪半髪頭を 叩いてみれば 因循姑息(いんじゅんこそく)の音がする
♪ザンギリ頭を 叩いてみれば 文明開化の音がする」というように、ガチガチの石頭人間達だなあ、、、、、、
と感じました。
また、攘夷が主願だったとはいえ、士族の俸禄廃止という「経済的事情」が大きかったのだろう、、と感じました。
でも経済だけの問題で、あのような死を覚悟の決起が、果たして出来るものなんだろうか???、、、。
との疑問も大きく残りましたが、、、。
私は10代から欧米、中でもアメリカ映画や音楽のフアンで、毎月映画雑誌「スクリーン」に見とれて、男優や女優さんの名前は全て覚えている状態で
「アメリカはええ国やのう」と憧れていたので、「サムライ・マインド」はある筈なのに、神風連へのあなどり感は強いようでした。
でも10年が経ち、さらに数年が経つと、ダイオキシン汚染や核兵器の増拡大、さらに地球の自然環境破壊の深刻さを知って、現代文明への疑問を感じて、神風連の本を、もう一度熟読してみました。
そして神風連の人々への考えが変化して行きました。
彼らは人間にとって実に大切なことを主張していたのだ、、と思ったのでした。
といっても、何も江戸時代に戻そうではないかなどとは言っておりません。
今、彼らから学び取るものが多々ある。との強い思いでした。
私は、いつも時代遅れな人間ですから、長くパソコン文明を斜視してきて、
やっとこさ、去年の秋にPCを持ったものでしたが、そこでフトある時、人々が神風連にどのくらいの興味を持っているものなんだろか、、、、と神風連にアクセスしてみました。
そこで「神風連COM」というサイトと出会いました。
管理人氏は30代の男性や20代の人で、会員は小学6年生もいて、若い人々が多いことを知って、驚きました。
私が若い頃は、若い人々は、「こんなの古臭いよ、ハハハ」と、まるで問題にもされず、興味を示す人が無かった神風連、、、、、。
これが時代の流れというものなのか、、、、。
そして管理人氏とメールの交換をしました。
管理人氏が、私のメール文をまとめて、
www.神風連.comを掲載しましたので、読んで頂ければ幸いにございます。