ワシのご先祖さんが、日本の先住民としたら、2千年500年頃前までは、ま、写真みたく暮らしておったのやろう。この人達は愚かな
野蛮人なんやろうか?
学校もないし、みんな、
アホボケなんやろうか?
それにしても、ああ、ええ表情しとるなあ、、。
で、その子孫のワシは今、ま、下の写真に割合い近いところに住んでいる。
どっちが幸せなんやろうか、、、。
と、言っても何も、縄文時代に戻ったらいいなどと言ってるわけやない。
上の写真の人達は、オカシナ競争が無いで、みんな仲よしの分かち合い社会。
ま、医学もないで、ワシのような歳まで生きる人はないけれども、皆が皆40代で爺、婆で当然なら、何の問題もないわナ。
ワシらが見習わんとなあと思うのは、その精神性のあり方じゃわな、、。
ここでは、自分さえよければいいという人はいない。
下の写真に住む人たちに「
幸せって、なあに?」と訊くと
「エ~~~っと、、、」と考えた末に
「
そんなもの、野球を観戦するのを幸せに思う人もいるし、いや、野球は嫌いだ、オレはサーカー観戦が幸せなのだというもいるし、まあ、人によって、いろいろに違うヨ」テナこと言ったりします(^^)
私は「趣味」や「嗜好」を尋いてはいませんがな(^^)。
人間の「幸せ」について聞いているのですが、
世界中のどの人間も、日々「幸せ」を求めて暮らしているのですが、
その挙句には、
人より沢山、物や、お金を持つこと、人より少しでも出世すること、人よりも少しでも豪華な家に住むこと、東大を出ること、社長、高級官僚になっての高給取りになるなどなど、、、
ま、「人に勝つこと、人より結構になること、物の多さなど」、他者との「比較の世界」が、思考の中心となってしまっていることが多いようです。
これが競争文明の価値観です。
だから、争う合いの社会になってしまうのです。そして、勝っても、負けても、全体としては不幸わせな社会になっているのでしょう。
上の写真の人達には「所有」って概念はありません。
全てのものが、みんなのものです。
特別に幸せって言葉はないらしいけれど、ムリに説明して、聞くと、
誰もが皆、幸せとは
「みんなが幸せなのが、自分の幸せ~~♪」と、当たり前って顔で言うらしい。
これは、権力者という者が出現してから、発明された「人間中心型、倒し合い文明宗教」とは、まるで世界観、人間観が違うからです。
「我がさえよければ宗教」は、600万年前からとされている、人類史の中では、まだ1万年も経っていない、実に珍らしい、地球の外から観ると、ホンの最近の出来事なのです、、。
その(1)