時代劇劇画を描いている、とみ新のオッサンが、なぜ、宗教学的な見解からの、書き込みが多いんだろ?、と思われる方もいることでしょう。私も我ながら「ホンマにのう、、」とは思います(^^)
及ばずながらも私は、世界から紛争を無くす理念へ向かって、自分が生きたいからだろな、、と思います。
何が原因なのか自分でも解りませんが、子供の頃、秘かに、自分のどこかに「嗜虐の性」を持っている部分があり、自分のどこかが屈折しているナと、ゾッとしたことがありました。
30代後半になると、脱けましたが、それまでなら、例えば、戦争という大儀名分があれば、私はどんな残虐な行為も、率先して出来る人間だナ、、、と感じていました。
弱い性質だからと思います。
コンナ人間が他にも居るのだナ、、、と思うと、ソラおそろしく、、、余計に、平和であることを乞い願うのかもしれません。
平和を考えていくと、どうしても、宗教にもブチ当たってしまうのでした
戦争の原因は、高校の教科書でも
民族、経済、宗教の3っつとあります。
確かにこの3っつが綾織に重なっているのですが、民族については、例え異民族であっても宗教、宗派が同じであれば、ウマク融合している場合も多く、民族の違いからよりも、根っこには、ローマ帝国の東西分裂紛争や、パレスチナ紛争に見られるように、教義の違いから来る紛争が多い、と感ずるのです。
例えば7年前、新聞やテレビで「セルビア人とモスリム人とクロアチア人の紛争」の記事やニュースが連日報道されました。
ナニナニ人と書かれると、「ア、また民族紛争、、」と捉え勝ちなのですが、セルビアとはキリスト教の一派で
セルビア教徒、モスリムは
イスラム教徒、クロアチアは
カトリック教徒とみれば、アレ、宗教戦争の姿があるんだなあ、、。
テナ調子で、紛争の全体像が把み易いわけです。
デ、私の記事は宗教に触れることが多いようです。
でも宗教も、思想も、哲学も、政治も、経済活動も、個人の思考なども、決して、別々なものではなく、全て繋がっているもの、一体のものと捉えています。
ヤヤコしい内容に、お付きあいくださる御仁に、改めてお礼を申し上げまする。