その後は空手を練磨、剣道や居合も学ぼうとしたが、実戦的ではなく
失望した。
50歳の時に黒田鉄山師の作動を観て、すべてのBVDを購入して、
研究模倣に昼夜を問わずに明け暮れた。
1年経って「柳生連也斎武芸帖」の連載を始めた。
2年経つと剣道6段や7段の人と立ち合い稽古をしても、
撃ちの速さと半身などで、すべて勝ちを取れた。
その後、教える仲間が出来て、型稽古ではなく、互いに
バイクのヘルメットと籠手を着けて立ち合い稽古で研鑽をした。
こんな時期に剣術と柔術は同じ動きだと悟れた。
武神流15段だった和希政幸氏が稽古に来て、私へ師の礼をとられ、
忍者から武人として、共に剣術研究や柔術を探求出来た。
共に人間の眼を辞めて「蠅の眼」という瞬機を観受する勘の訓練に励んだ。
勝負は一瞬、一発で決まるものだった。
そんな頃に無念にも和希氏が咽頭癌で死去した。
片腕をもぎ取られた感じがした。
現在でも無念、残念の思いだ。劇画で「剣術抄・五輪書」の連載を終えたばかりだった。
その後、仲間達と、袈裟への打撃は心臓へも響く(;´ρ`)ので
ヘルメットを辞めて剣道の面防具にした。
皆さんも遠慮なく打撃出来てどんどんと腕を上げて、他流派とは
「次元の違った世界」へ入ってくれた\(^ ^)/
一切腕力に頼らない動作と成っている。
私自身でもコレは想像もしない事で、信じられな~~~い~( ゚д゚)
事なのだが、
現在75歳、人生の中で最も強くなっている。アキレス腱裂傷の上、齢なので
来年の事はテンデ分からないが、実戦会の仲間たちは確実に腕を上げて
くれていて、誠に嬉しい事です。
最後に、私が武術を探求するのは、子供の頃、気が弱く、
暴力は大嫌いで、明らかに理不尽に弱い者虐めをしている場面に
遭遇しても、制御できなかった悲しさを体験 してきたからです。
その最も極端な事件が、以下だったが。
https://hiratomi.exblog.jp/29854354/
なので戈を止める武人になろうとしたわけです。
令和2年10月9日 記。