それにしましても土の中で龍が越冬しているとは、スゴイ名ですね。春が待ち遠しいですね(^^)
汎神論 につきましては カテゴリの中の「明治9年神風連の諌死」からリンクして「神風連COM 」の記事の中の、下段あたりに、管理人氏が、とみ新蔵コーナーを作ってくれまして、そこでの
{古神道の「草主人従」と一神教の「人主草従」}の中で見られたものと思います。
でもここで、一分を書き直しておきます。
{世界でも、日本国内でも人々は様々な宗教に基づいて暮らしています。
宗教は人間の最大の捉われですから、
どの教団でも敬虔な信者さんは、コワイほどの「信念」をコビリ」持っているものです。
だから宗教について語るのは、対立を呼び込み、賢明でないことは承知しています。
日本の伝統思想だった「草主人従」に触れましたが、
この考えは古神道に基いています。
1万年ほど前までの人類には、まだハムラビ法典も、オリウス教もユダヤ教も成立しておらず、どこに住む人々も、古神道的思考だったので、実は対立が極めて少ないのですが…。
神には種類があります。
1 「神」は中国語で、ま、いろいろな意味で使われた歴史もありますが、多くは、神秘、魔可不思議なもの、と位置づけられてきました。
儒教の孔子は、これについて「怪、力、乱、神を語らず」物の怪や、暴力や暴乱や、神秘現象や、死後世界などについては、一切触れぬという態度でした。
2 日本でもその意もありましたが、全体としては、
「上、尊、頭、丞、将、佐、尉、守など」
命令する人、エライ人をカミと訓読みしてきました。
明治時代から昭和20年の終戦まで天皇さんを天照大神と同格の現人神としました。
また郷やムラの人々の生活のうえに役立った人を郷社、村社の氏神として奉讃しました。
ま、家の中でコワイ人、五月蝿い(うるさい人)を、山の神、カミさん、などと言ったりナンカもしましたが(笑)
3 もっと古い型は、太陽、山、水、火、風、熊、キツネにいたるまで、人間にとって有難いもの、畏れのある ものを遍く(あまねく、普く、汎く)神としていました。
これは宗教学上でいうと 「汎神論」というものです。
山紫水明、山川草木など自然物を尊(カミ)とするわけですから、その上の、超自然的な存在で、裁判官のような支配神を語らない、言わない、考えないわけです。
汎神論はイコール無神論たるゆえんです。
4 ユダヤ教・キリスト教、イスラム教などでいう、よい行いをすれば天国へ、ワルイ行いをすれば地獄へ落とすぞとかの、絶対権力の、超自然的な裁判神は語らないというわけです}
ここから後は
神風連COMへと続きますのでどうか、お暇な折に覗いてくだされまし。