7月30日、75歳で永眠した。
不治の胃がんと知って大阪から、出版社の近い東京都内のホテルに住んで闘病の末だった。
死ぬまで平和の希求に取り組んだ人だった。
自分の意見に
普遍性を求めた人だった。
ベトナム戦争にも厳しい論述で、アメリカから長く入国禁止された時期もあった。
作家の中上健次氏http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E4%B8%8A%E5%81%A5%E6%AC%A1や
大江健三郎氏とも親交深く、世界のあらゆる差別と戦う人だった。
体制への論破は鋭く、
また日本共産党への批判も鋭いものがあった。
テレビの政治討論では、常に思慮が深く、眼光の鋭い人の印象だったが
「憲法
九条の会」の講演会で直接にチラリと話しができた機会もあったが、
驚くほどキサクなオジサンだった。
髪の毛が真っ白だったが、フシギにも太い眉毛は真っ黒の人だった。
どこかで見た小田氏の印象に残る言葉を記しておきたい。
「正しいと自分が思ったことは、たった一人でも言うべきであるし、一人でもやるべきだ。
また、それが間違いだと思ったならば、一人でも辞めるべきだ。」
日本のためにも、世界のためにも、もっと、もっと長く生きて、活躍して欲しい人だった。