そこでワシも考えた。
本当の「愛」「愛情」って
「私は、アナタをとっても愛しているのだから、アナタも私に、カレコレしてくれなくきゃ!」テナもんではなく、
①一切、見返りを考えないもの。
②「孤独なもの。相手に目立たないもの」
③「心はともかく、身体はシンドイもの」
④「孤高で崇高な行為」などと思う。
喩えば、母親の赤ちゃんへの態度と行為のようなものと思う。
寒ければ、暖かくし、暑ければ、涼しく配慮し、ウンチをすれば気持ちが悪かろうと洗って、
オシメ取替え、お腹が空けば乳をあげて「調和」を取ろうと励む。
でも、幾ら母親が配慮したとしても、赤ちゃんは感謝しません。お礼も言いません。
でも赤ちゃんは調和のなかでスクスクと育ちます。
「人を見て我が子と思う、親心」そんな、調和への回復を願う行為が「愛」「愛のこころ」ではないかと、、。
「愛」は尊い心情だけど、他の国はどのようになってもいいから、この国だけ、この地区だけ、我が一門だけ、我が家族だけ、家族の中でもこの子だけ、わが子の中でもコノ子だけ、という
「偏愛」もある。
広く愛する
「博愛」とは大きな違いだ。
どうも偏愛は社会をギスギスさせてしまう原因でもあり、実によろしくはないようだ。
「愛」と「恋愛」は相違するものの、恋愛という男女間の愛の姿、形もある。
愛の心が変わる心と書いて・・恋愛・・・。
どうも、普遍的な内容の「愛」とは言い難い歴史があったようだ。
「結婚は恋愛の墓場」という説もある。
「一瞬のビヨーキ」という説もある。
「男女間の心と身体の独占ゴッコ」という説もある。
ま、それはそれで「ツミ」はないもの、大いに楽しみ、またナヤミ、クルしむのも人生の味わいというものだろう(^^)
恋愛を「情愛」とも言う。
情愛には「情念」や「情欲」「欲情」も付随してくる。
欲情には「肉欲」も付随してくる。
肉の欲は「官能」を刺激する。
官能とは、耳・鼻・目・皮膚など、感覚器官を通して得られる快さ、特に「性的な感覚、気管を能くするもの」として使われている。
だとしたら「恋愛」は、
「器官刺激ゴッコ、、」
略して「器激ゴッコ」、、、?
いわば「カンゲキ、、」
という性質、、、!、、、。
ま、それはそれで、然るべくして「在るもの」「具わったもの」だから、キゲキ、喜劇も、仕方なかんべナ、、。