二尺三寸五分、反り 1・9センチ 元身幅3・6センチ。
刃紋 匂い出来の丁子乱れ。
画面の刃がキタナク写っているのはネタ刃を合わせているため。
私は包丁やナイフやカンナやノミなど、刃物は刃がピッと立っていないとど~~も気に入らないコダワリがある。
重ね厚く9・8ミリ、平肉刃肉コンモリと付き、重い。
製作、明治末期から昭和初期の刀。
稽古時は選んで、やや重めの物を使用する。
刀での実戦などは、永遠に無いが、しかある時(無い(^^)は、これよりやや軽めの刀を持てば、手と体の一部として体に乗りやすく迅速となろうゆえ。
これを腰に差して、庭や体育館や人の来ない場所に立つと(もちろん人が見たら気味が悪くなってはいけないから、上は白の稽古着)
普段は飄々男で、どちらかというとオッチョコチョイのヘマ男の私が、人が変わったように、心が沈静となり、
体が虚脱状態のなかで、
一人、または2・3人の刀を構えて迫る仮装敵を想定する。
相手は自分と同等の剣使いか、またはそれ以上の剣士。
心は「無」とはいうより、斬られて死のうの覚悟を決めて、ウツロで哀しく、すべてのことが、ど~~でもよくなる。
顔面や肩、腕、袈裟を切られる姿をまず想像して、生きたまま死人のような心境になれる時もあったりする。
極意は相打つこと。
道連れを連れ行くこと。
そのためか近頃は、相手の斬撃をかわしつつの突き、受けたと同時に剣先を、対手への首、顔、胸、腹などへ、刺突技の工夫が多くなった。
「いい歳をコイた、オッサンがなにを独り遊びゴッコをやっているのか」と(笑う)人もあろうが、独り稽古も肝心なもの。
でも究極は、争闘のためではない。
心を無にする「禅」だと思っている。
「座禅」ではなく
「立ち禅」「動禅」のひと時。
疲労感のあとに、
常で無い世界に、未だ「いのち」のありしことを、フト、思う。
伝統的な日本刀は私に、様々な想いを与えてくれる。日本刀に感謝する。
フト、日本に生まれしことにも感謝する。
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