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の概略です。 …─…─…──…─…─…──…─… {私の担当病棟はガンや心臓疾患で、どちらかというと暗い病棟なんです。 同じ仲間で元大学病院のドクターの話しによると、大体医者の寿命というのは一般の平均寿命より短いそうであります。 いつも相手にしているのが病人さんですから、どうしても明るくなれない。 気力の落ちた方々とそう冗談も言い合えないし、いつの間にか自分の気力まで病人さんとシンクロしてしまう。同調してしまうんですね。 それに長時間にわたる手術になると精も根も尽きてしまう。 中には手術後、そのまま医者が亡くなってしまうということも自分のいた大学であったそうであります。 まさに医者の過労死といったところでしょうか。時々エレベーターでドクターとふたりきりになることがあります。 どういうわけかエレベーターの中というのは突然みんな黙りこくって階数を表示する数字を見上げてるんですね。 わずかの時間ですが大変気まずい空気が漂う。そこで私は必ず声をかけることにしているんです。 看護婦さんは比較的笑顔で挨拶されるんですが、ドクターはどちらかというとあまり元気がなく医療ミスでも犯したような顔をされている。 「医者のストレスも大変なものですね」と声をかけると、ほとんどの方が 「まったくです」と肯定される。 「なんの、なんの」とはねのける元気な医者はあまり見当たらない。 最近、特に医療に対する風当たりが厳しいものですから、ますます元気がない。 誠にお気の毒としか言い様がありません。それだけ命を扱うということは命を縮めるほどハードだということですね。 似たような心境は私たちにもあるんです。 特にガン病棟は、辛い、苦しい、不安と絶望がどこか漂っているものであります。 私なんか気が弱いものですから、まず朝出勤するときに溜め息が出てしまう。 思いきり溜め息をつくと少し楽になるので何度か大きく溜め息をついて気合いを入れるわけです。 今度は病室に入るときに又気合いを入れ直すんです。 日に日に回復して元気になっている方はいいんですが、どんどん病状が悪化している人に何と挨拶してどう切り出せばいいのか、大変悩むんです。 お医者さんももはや危ないという患者さんのところへはあまり行きたがらないという話もありますが、私達もやはりそんな時がありますね。 「今の時代の一番大きな病気は、自分は誰からも必要とされていない、誰からも望まれていないと感じる孤独だ」と、あの有名なマザー・テレサというキリスト者が言っておられますが、まさに死を予感するとき、その孤独感は身悶えするほどだといわれています。 勤務する病院では年間約400人以上の方がお亡くなりになります。 近隣の病院から重症の患者さんが紹介入院してくることが多いせいでもあるでしょうが、 私も当直の夜、五人お亡くなりになったことがありました。 もちろん二人で交代でお別れに行くのですが、その夜はほとんど眠れません。 しかし、眠れないことが問題なのではなくて、一晩にこれだけの人がなくなりますと死者に慣れてしまうということが怖いのです。 それは私たちの最も辛いことであります。従ってややお座なりになってしまう場合もあるわけです。 そしてついには慣れてしまう。怖いことだといつも自戒しているのです。 ですから、一生懸命修行する、心を練る、他者の喜びを作り出して自分も喜べるよう勤めています。 こういう婦長さんもおられました。 「患者さんの亡くなっていく悲しさ、辛さを自分の辛さとして、ナースは皆同じように受け止めています。 献身的に勤めているつもりです。しかし、人数面では病院基準に達していますが、この病院の創設の理念に達する看護をさせて頂くには、もっともっと人数が必要であります。 気持ちはあっても、実際物理的に無理です」 これも正直なところでしょう。 自宅で献身的に尽くしてくれた妻や子供や同僚に見取られて死んだガンセンターの医者が 「これこそ本当のターミナルケアーだ」と言い残したという話ですが、確かにそれほど幸せなことはありません。 看護婦さんへのアンケートで「あなたがもし不治の病にかかったとして、その時はこの病院で最後を迎えたいと思いますか」 という問いかけに対して、ハイと答えた人は皆無であったという話を読んだことがありますが、医療の現場にいる人たちだけに限らず、殆どの人は自宅で死にたいと思っているに違いありません。 病院というところは治療の場ではあっても、末期患者が長期にわたって生活する場ではないということです。 しかし現状は昭和52年を境に病院死が在宅死を上回り、平成2年には病院死が70パーセントを越え、 ガンの死亡のみを取り上げますと同じ時期に90パーセント以上の人が病院でなくなっているといいます。 現在はどうなのか詳しいデータは知りませんが恐らくそれ以上だろうと思うわけです。 「昔は殆どが在宅死であった」と比較する人もおりますが、これは入院しようにも出来ないとか貧しかったからとか、あるいは世話する人がいたからとか、いろいろ事情も違って単純に比較できませんが、 在宅死という例も散見されるわけで、病院死が必ずしも悪いというわけではないでしょう。 要は病院であろうが在宅であろうが、病むことの辛さに加えて、精神的な不安や孤独が問題なのであって、その闘病のプロセスにどう力を添えるか、 医者も家族も、そしてその人に関わる人たちのすべてがどう心を添えていくか、それがケアーの本質的なあり方だろうと思うわけです。 急性期の患者さんであろうが長期療養を必要とする患者さんであろうが、あるいは末期患者さんであろうが、ケアーの本質は変わらないだろうと思うのです。} …─…─…──…─…─…──…─… 去年亡くなった私の同級生も、53才から、ケアーの同職でしたが、特に、末期的な症状のガンや心臓疾患の患者さんへのケアは大変な仕事だなぁ、、と思いました、、。
by hiratomisinzo
| 2008-01-30 03:14
| 日々思うこと
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