調度良く、バランスをとって生きている動物だ。
「理性」だけでは感動や感激が無く、「感情」だけでは衝動的に動きやすい。
理性は燃えやすい「感情」というガソリンの火を消す役割も果たしているといえよう。
人は、
他者の自分への処置が、余りにも卑劣で、明らかに酷過ぎる時は、理性では
抑えきれず、自分の誇りや名誉を打ち捨てても、我慢の限界がプチン!と切れて、激情から、何をするかも知れない状況だってないとは限らない。
いや、自分の誇りを守るために、身命を捨てて闘い犯罪を冒す場合だってあり得る。
このような犯罪の場合には、刑法上、情状酌量の可能性もあり得る。
私には、一度も、これまでは、そんな経験がなかったことに感謝をするしかない。
有りがたい限りだと思う。
しかし世の中には 被害者に対して、全く必然性の無い犯罪もある。
20年前の「
綾瀬・女子高生コンクリート詰め殺人」
事件のような、被害者に何の恨みもない、通り魔的な残虐犯罪だ。
不良仲間と巧妙に組んで騙し、女子高生を家に監禁。
暴走族仲間十数人で輪姦、
◆ 陰毛を剃り、陰部にマッチの軸木を挿入して火をつける。
◆全裸にしてディスコの曲に合わせて踊らせ、自慰行為を強要。
◆ゴキブリを食べさせる
以下余りにも哀しいので省略・
余りにも狂ってフザケタた上の、酷い仕打ちなので、これ以上 読むのが辛くなったが、20年前に40日間も、様々な恐怖の暴行を受けた末に、絶望の中で
孤独に、死亡して行った女子高生の気持ちを考えると、目を反らしたり、読み飛ばすこともできず、
最後までゆっくりと読んだが、
ここでは
コレ以上は、書くのは苦しい。
実状を知りたい人だけ
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この加害者たち四人の少年は、心が、荒廃してネジ曲がって歪んでいるが、
特に主犯Aの悪辣・暴虐無道さには、茫然として、悲しみと怒りに震える。
主犯Aが20年の服役を経て 今年5月 出所した。
計画的・意図的な残虐犯としては、服役20年は短いかもしれぬ。
ともあれ20年は精神の更正の期間だった。
大切なのはこのAが、現在 どこまで自分の犯した罪を反省し、心をどこまで、切り変えているかだ。
もちろん、人間 一たん犯した殺人罪は、反省したとて、許されるものではないが。
Aは出所後には変名して暮らしており、過去を隠す暮らしは、厳しいものがあろう。
それも贖罪というものである。
だがどんなに苦しい境涯ても、
再び、わずかでも他者を暴力などで侵害するような
犯罪を冒せば、刑務所への逆戻りは当然の理だと考える。
「死刑」は基本として賛同は出来ないが、
未成年だったとはいえ、Aのような、人間の道を大きく踏みハズした人間が、
再犯を冒せば、
再び、娑婆に戻し暮らさせることは 誤りだと考えている。
「
労・懲役五百年」とするべきと考えている。