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Yさんは東京に住む娘さんと孫と、ドリームランドへ行くためなどで大阪から東京へ来ていた。 そこで同窓生の私へ、24日に新幹線へ乗る前に私に会わないかと、前日の23日に電話があった。 私は懐かしく 「よっしゃ!東京駅で是非会いましょう」と約束した。 当日24日のPM2時に、八重洲中央口へ着いたらど~~も、Yさんらしき女性がいない?? Yさんは高校時代、可愛いらしくてベッピンさんで、私は密かに憧れたものだったが、23日の電話では 「以前の私ではなく、小太りのおばさんだよ。黒いオーバーに白いマフラーだよ」と言っていて、私も 「ワシは黒い革ジャンに紺色の帽子のオッサンですよ」と、言っておいたが、互いになかなかに見つからない。 おかしいな、、、とアチコチを歩いてみたが、Yさんらしきおばさんがどうも見つからない。 で、Yさんのケイタイへ電話したら、Yさんは 「平田君は一体、どこにいるのよ?!ゴチヤゴチャ!と歩き回らないで、改札の前でじっとしていなさい!!」とお叱りの声。 しばらくすると、黒いオーバーに白マフラーの女性が5メートル手前に来た。 お互いにじっと見る。 服装から、Yさんとみるしかないので、 「待たせてごめんナ~~カンニンや~」と謝り、帽子を取ってハゲ頭をビタンビタン!叩いて貰った(^^) 改札周辺には27人くらいの人がいたのだが、お互いに分からなかったようだった。 その後、喫茶店で懐かし、楽しく、笑い転げる会話がハズんで、 お互いに、変わらぬ自分たちを認識した。 が~~~メチャ変わった~~!! 私はYさんの高校時代の延長上のオバサンとのイメージしかなくて、Yさんがオバサンというよりか、 お婆サンだった。 ワシは高校の頃はおとなしくて、肌がツヤツヤの色白少年で、それが男として恥ずかしく思っていたが、 このワシの50年後の変貌ぶりに、改札口周辺で「何分か」は、互いに見た筈なのに、判別出来なかったのだった。 Yさんも「信じられない~~」の想いだったのかもしれない。 しかしYさんの顔は実に良い表情をたたえていた。 パッチリとしていた眼が柔和にやや垂れ目状態となり、全体に下ふくれで、心構えからも、平安彫刻の観音菩薩を想わせた。 新幹線が発車するまで見送ったが、横顔が昔と同じで、50年ぶりに愛しく思った。 諸行は常では無い。ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。 ![]() お互いさまに、爺、婆となり得たことに、 合掌♪ ============== ▲
by hiratomisinzo
| 2013-02-25 23:47
| ヘビ殺し少年
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中学二念の終わり頃、針金でできた籠状の、中古のネズミ捕り機を入手しました。 中に人参などを仕掛けておくと、ネズミが掛かって、入っていました。 こういう場合、近所の人々はその籠を近くの川に漬けて置いて、そのままにして、すぐに立ち去ります。 でも私の場合は、籠の中でネズミは苦しがって、溺れ死んでいく様子を、克明に観察するのです。 二・三回は、じい~~~いっと、観察しました。 中学3年の頃、こんどは、それに飽き足らず、ネズミを籠から、直径12センチほどの缶詰のカンの中へフタを締めて閉じ込めました。 フタを少し開けるとネズミは、その隙間から缶の端を、手で引っ掻いて、必死で外へ逃げようと暴れます。 私は、なら、手を切ったらどうなるのかな。と思い、ハサミでまず、片手の手指をブチンと切断しました。 でもネズミは、もう片方の手と指のない手首だけの手で、外へ出ようと必死で、缶の中で「チュー!ジュー!」と喚いて、暴れまわっています。 私と10センチの間隔で何度も眼と目とが合いましたが、怒り狂って、とても挑戦的です。 次に私は、両腕もハサミで切断します。 それでもネズミは外へジャンプして逃げようと、必死こきますので、次は両足を切断しました。 さすがに、動くことの緩慢になり、血だらけになって、蠢くだけで、缶フタを全部あけても、外へ出ることも出来ません。 私は、次は火攻めにしたら、どうなるのだろうか、、、と考え、マッチを二本スリつつ、即座に眉間に当てると、マッチは」「シュッバーーっ」とイオウ臭い炎を火を噴きました。 するとネズミは以外にも、コトリと絶命しました。 小学生の頃、虫やトンボやアブラゼミの片羽や両羽を除って、最後には死なせたことはありますが、哺乳類のネズミさんをこのように虐待死をさせたのは、初めてのことでした。 ヘビの4・50匹殺しといい、このネズミへの仕打ちといい、オトナになると、表面はニコやかで、おとなしいはずの自分の中に、実は、残虐を好む、「嗜虐の性」があるのでは、、と、考えるようになりました。 だって、アレコレの友人に、私のそんなサワリだけの話をチラと話しても、誰も、私ほどの内容ではありませんでした。 蛇を沢山殺したのは、蛇は悪いやつだと、勘違いいたからでした。 ネズミに冷酷だったのは、ネズミは人類の敵だと、過度に考えたからです。 23歳の時「ヤングコミック」という雑誌で「嗜虐の性」という31ページの短編を描きました。 これは若い侍が、残虐を好む裡なるこの性癖で、表面は善良なのに、どんどんと、ムリな大儀を作りだしては、人を斬って 行ってしまい、最後には僧侶となって救いの道を求めるのですが、、、最後には、また、殺ってしまうという話でした。 「これは自分の姿を、時代劇の中でエスカレートさせた話ではないのか、、、」と感じたものでした。 と言っても、私はサドでもありませんヨ(^^)アッチの方面は、マコトに普通そのものです(^^) ただ幼い頃に何が原因したのかは、分かりませんが、心の裡のどこかが、イビツなものがあり、それが27・8歳を過ぎるまで、潜んでいたことを感じました。 もとより、その後は、スッキリと脱け切りましたヨ(^^)。 今、私が私の少年時代のように、ヘビは悪い奴だと思って、やたらに蛇を殺す少年を、どこかで見たとしたら、コイツは危険人物だと、「ゾゾ~~~~~~~ッ」とします。 私は27・8歳まで、国家に一朝時があれば、即座に自衛隊に志願をして、国家のために命を投げ出すのだと、本気で考えていました。 こんな人間が、太平洋戦争時代に青年であったとしたら、迷いなく、即座に兵隊に志願したことでしょう。 戦争になると、必ず政府は「大義名分」を作って、正義のための戦争だと、国民をマインド・コントロールしますから、私は、勇躍して、それに乗っかったと思います。 そして戦地へ行ったら、どんなことでもやります。 ましてや、親しい戦友が、敵に殺されたとなると、敵に対しては、どんな残虐なことも出来たでしょう。 戦争ではむしろそれを行う者が勇士です。 もし戦死しなかったら、どんどんと、幾らでもエスカレートしてしまい、狂いの闇の世界に入ってしまったことでしょう。 ベトナムのソンミ村で、米兵が村人の女子供までに残虐行為をしましたが、そんなキッカッケ作りを、先頭に立ってやったのが、きっと、私のような、人間だったのだろうと感じました。 以前に、書きましたが、私がもし、戦時中の中国で捕虜を殺せと命じられたら、二千人斬りだって、平気でやれた、と確信を持つ由縁です。 だから私は、ことさらに、戦争というものを嫌悪する者です。 ▲
by hiratomisinzo
| 2006-10-18 06:38
| ヘビ殺し少年
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その後、二度と、蛇は殺めなかったけれども、ネズミは殺した。 ある日、お袋が台所で「アレま、ニンジンがこんなに食べられちゃったよ、、」と、 一人ゴトを言いながら、ネズミに齧られた部分だけを、包丁で丁寧に切り取っていた。 私は、覗き込んで「ネズミの奴って、とんでもない野郎だ、、、」と思った。 お袋はそんな表情の私の顔をみて 「でも、信州の実家(農家)では昔から、ネズミが米を食べないように、別な場所に、ネズミ用の米を置いておくんだや」と微笑んでいた。 「ネズミに年貢米払うの?、、、、。そしたら、米倉の米は食べおらんのか?」と私。 「ネズミはかしこいから、自分達の領分を知っていて、食べなかったヨ」とお袋。 でもネズミはその後も、二階の神棚の献米や、ジャガイモなどをツマミ食べておった。 (今から考えると、ネズミは食欲旺盛な筈なのに、人に目立たないように、わずかだけしか食べてなかったのだが、、) 中二の時の、ある極寒の冬の朝、お袋が、起きたあと、着替えながら 「ハレま、夜中に面白いことがあったよ、フト夜中に気が付くと、ネズミが上を向いて寝ている私のオデコの上に乗っかっていたよ」 「こんなことは、生まれて初めてのことだいねえ、、。」「私のオデコは広いから乗り易かったのかね」とか 「さすがにネズミも寒かったのかもねエ」 などと言っていた。 でも私は、それ以来、母の額を見るたびに、そこへ乗かっていたネズミに対して、「あの無礼者ネズミが!と、思うようになっていった。 また、近所のおばちゃん達も「ネズミには適わないよ」と言っていたこともあるし、 コレは人類の敵や、生かしてはおけん、やっつけなければならん」 という心がどんどんと膨れあがっていった。 ヘビ殺し少年 その(4)「心の裡に潜んでいた残虐性」へ続く。 ▲
by hiratomisinzo
| 2006-10-13 22:02
| ヘビ殺し少年
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小学6年の時、それまで沢山ヘビを殺してきたものの、考えました。 南アジアの人々や、アフリカの土人(昔は皆がそう呼んだのでした)は、ヘビも食べるし、南洋へ行った日本の兵隊さんも、食べたという話を思い出したのです。 そしたら、オレもこのデカイシマ蛇(もと兵隊さんから青大将は不味いがシマヘビは旨いと聞いていたので)の死体を、ただ土に埋めるのではなく、一度、どんな味か食べてみようと思ったのだった。 幸いにも、家には誰もいなかったので、ご飯を炊くお釜に、ヘビと、水と、チット塩を入れて、薪をくべて、煮炊きした。 しばらく沸騰させておいてから、ヘビを取り出して、まな板の上にのせて、包丁で5センチの長さのゴボウ切りに、4個(4本)切ってみた。 皮を剥き切って、肉を齧って食べてみると、何やら生臭いだけで、すこしもウマクはない。 折角煮たのだから、もう一本、皮を剥いて、口に入れてみたが、生臭っくって、気分が悪くなってしまった。(今から考えると、料理の仕方が、滅茶苦茶だったから) 仕方がないので、ヘビのバラバラ死体を家の前の空き地に埋めておいた。 しばらくするとお袋が家へ帰って来た。 お釜を据える「へっついさん」が、まだ アッタカイので「この子は、何か炊いたらしい、、」という表情をしながら、台所で何か用事を、し始めた。 お袋が何か、片づけ物をしょうとして、裏のドアを開けた時「ハレ、しまった」と思った。 蛇の頭だけを生ゴミ入れの中に置き忘れたからだった。 台所へ戻ってきてから、お袋は静かに言った。「庄ちゃんは、蛇を炊いたのだねエ、、、、」 ワシは黙って首を立てに振る。 「おいしかったかや?」 「生臭かった、、」 会話はそれで終わり、お袋は、夕ご飯の支度に取り掛かっていた。 2日後のことだったと思う。 台所の雑巾掛けをしている私に、お袋がジャガイモの皮を剥きながら「庄ちゃんは蛇を殺すのが好きかい?」 と微笑んだ。 私が黙っていると、お袋は「ヘビも子供を育てて生きているんだに。(時々、長野弁が出る)そしてネズミなども捕ってたべるから、有難いのだやナア、、」 この瞬間に私は、蛇は殺してならないと、思った。 さらにお袋は言った。 「財布に蛇の抜け殻の皮入れている人を見たことがあるだに?。 アレは、蛇は昔は神さんという信仰があったからでねえ、、。だからヘビを殺めると、庄ちゃんは大きくなったら貧乏になるかもね(^^) これでダメ押しにドキっと来た。 家が、近所中を見回してもどうも一・ニ番のビンボーらしいことは分かっている。 オトナになって、これ以上貧乏になるなんて、と、ゾオ~~としたものだった。 だからそれ以来もちろん蛇を殺めことはない。 その後は蛇を見かけると、近所の子供たちにも 「蛇はエエ奴や。怖がることはない。放っておいたらええのやで」という状況となった。 ヘビ殺し少年 その(3)「心の裡に潜んでいた残虐性」へ続く。 ▲
by hiratomisinzo
| 2006-10-13 03:53
| ヘビ殺し少年
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蛇がよくいた。 野山にもいたし、家の近くの林などにもいた。 おばちゃんや同年代の近所の子供らと遊んでいると、よく出会って、幼い子供たちも、蛇が出没すると、大変怖がった。 私は、そんなとき、バカな義侠心に駆られて、蛇を殺したのは、小学校3年の時が初めてだったと思う。 皆が「庄ちゃんは蛇が怖くないの?」と聞く。 私は「みんなが嫌がる蛇はワルイ奴だから、気持ちはワルイけど、怖くはない」と答えた。 その後も、シマ蛇も青大将(長さ1メートル80センチの大型もいた。)も数は少なかったけれどマムシもいた。 マムシはさすがに、闘争的で挑み掛かる姿勢を示したものもいた。 噛まれたら死ぬので「もし、足などを噛まれたら、肥後守ナイフで噛まれた個所を切開して血を流しそこを口では吸い取れば、軽くて済む」と、近所のおじさんから聞いていたので、格別にコワイとは思わなかった。 ![]() 最後には逃げるから、尻尾を捕まえる。 ヘビの殺し方は、逃げるところを追っかけて尻尾を掴んで、手を上に上げると、絶対に手には噛み付けない。 それからおもむろに尻尾を振り回して、ムチを振り回すようにして、頭を6・7回地面に叩きつける。 蛇の口から出た血が、つい下手な回し方をしたために、顔やシャツに飛び散ったこともあった。 だから近所の子供たちは、蛇が出ると、私の家族には内緒で、私を呼びに来たりもした。 べつに英雄気取りなんて微塵もない。 ただ「蛇はワルイやつだから仕方がないのや、、」テナ気持ちだけだった。 でも、ある頃から殺した蛇の遺体は、川の水で血などをきれいに洗ってから、トグロ巻き状態にして、適当な場所に埋葬をすることにしていた。 そんなわけで、小学校6年までには、40数匹の蛇を殺めたと思う。 私がヘビ殺しの癖を持っていることは、 まず、私の家族は知らないことだったが、あることから、お袋に、これがバレてしまった。 ヘビ殺し少年 その(2)へ続く。 ▲
by hiratomisinzo
| 2006-10-10 20:44
| ヘビ殺し少年
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