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「九相図」をブロブに出して、私は火葬がいけないとか、土葬の方がいいのだとかを、言っているわけでない。 「九相図」は「死」の問題ではなく「いかに生きるのか」何がよりベターなのか、日々の私達お互い様の、人間の生き方に関わる「生」の直視問題として、捉えなおしてみたいなあ、と、思ったのだったが、、。 しかし、コメントで「葬」に関する話があったので、チトばかり、コレにも触れておこうと思う。 日本の歴史の中で自分の遺体を初めて「火葬」になしたのは、 1400年前の奈良朝時代の道昭(どうしょう)。 道昭は、遣唐使の一員として入唐し、唐の玄奘(三蔵法師)に師事。 帰国後、日本法相教学の初伝となった。 弟子に行基がいる。行基は時の権力者の聖武天皇から「大仏建立」に協力させられて、行基菩薩と銘々された。 (それまでは「土葬」や「鳥葬」だったのに何故火葬にしたのか、これは道昭の仏教教義の「精髄」に関わったことによるが、今は、これについては触れない) でも火葬は、費用も係り、地位の有る者に限られてきた歴史が長く続いた。 一般庶民の間まで火葬が普及したのは、明治時代以降のこと(現代でも離島や奥山間部では土葬) 火葬と土葬、どちらがいいとかは言わない。それは住む環境で変わるから。 この二つについて比較してみたい。 火葬の長所。 (1) 遺体の腐敗臭がしない。また衛生的。 (2) 火葬で骨の粉になるから、運搬、収納に便利。 (3) こん日のように人口爆発しても、収納OK。 火葬の欠点。 (1) 燃焼のため、土葬よりも、薪、石油などのエネルギーの消費が高い。 土葬の長所。 (1)土に帰納するため、土の栄養になれる。 土葬の欠点。 (1) どうしても、墓場に腐敗臭が、たまりやすい(ま、こんなことは3ヶ月もすればバクテリアが分解してくれて、長い期間ではないが) (2) 若いべっぴん娘の遺体など、誰かが掘り返して、イタズラ(死姦など)をする、そしてまた埋めておくということが歴史的にもあったこと。 (3) 野ブタなどが掘り返して、遺体を食べることがある(ま、体内で消化され、糞になって、土に返るという、自然循環といえば、自然循環だが、、、。) 続く。 #
by hiratomisinzo
| 2007-03-08 02:09
| 小野小町の九相図
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Comments(2)
百四、五十年前に暮らしていた人を、何だか大昔の人で、大変遅れた、化石のような人達のような印象で捉えてしまっている事が多いように思う。 特に若者というものは、その感覚にオチイリ易いと言える。 だから、ワズカな年齢の上の年配者に「ハハハ、それって古~~~い!」などと言うことがある。 商売は若者向けにした方が、消費が上がり儲かるので、テレビなどでも、若者に媚びるコマーシャルが多い。 だから流行りでないものを、古いと思わされている。 一世代や、二・三世代は同時代に生存しているわけだから、地球の外から観れば、ホンの 一瞬間、古いもヘチマもあったものではないのにネ、、と、思う。 それはともかく、上の写真の指物師は、まず現代では信じられないほどの緻密で頑丈な、良い仕事をしている。 それは骨董店や神社などにある作品を見れば明らかなこと。 職人芸の極み、現代職人には遠く、遠く、及ばないものばかりだ。 今の家具は、すぐに痛んでしまって、ガタがきて、やがてはゴミになるが、この人達の作ったものは、今も美的価値に富んでいる。 家族や近所の人もできての脱穀風景。 今よりも比較にならないほどの、旨くて、滋養のある穀物を食べていた。 明治時代の笈籠売り屋、この籠でも生活に十分役立った。 ボロボロになるまで、存分に使い果たしたら、カマドの炊きつけの役に立って便利快適。 ゴミはゼロ。 重たい物は時間と手間が掛かるが、これで運送。石油一滴も要らない社会。 でも現代人よりも、時間に余裕を持っていた。 現代人アチコチ走り廻って毎日時間に追われて、忙しそう。 コレって、何故でしょう?、、、、? なんだか、、、、バカみたい、、。 ま、、、ワシもそのうちのバカの一人、、、。 いずれ卒業の予定、、。 (この写真で、何もみんな昔の戻ったらいい、と、言ってるわけじゃない。 この写真の生活を、遅れて、暗くて(もちろん夜は星空や月夜以外は殆ど真っ暗) 古くて、野蛮とはいえないなあ、、と言いたいだけ)。 #
by hiratomisinzo
| 2007-03-04 00:17
| 珍しい風景
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Comments(2)
処理せねばならなかったとの文章を読みました。 雌猫を飼っている人間ならば誰しも、それなりに自分とぶつかってきた問題です。 坂東氏は論文にも書いているように、こんなことを書いたら私を糾弾してくるだろう、批判するだろう、とは判りつつ書いたようです。 私は、世間の常識世界へ、本当ってなんだろうか、と、問いかける氏の文章へ、好感を持ちます。 そして生まれてきて、増える子猫を、崖下へ落とすその悲しさ、切なさを我がことのように感じます。 そしてその深い懺悔の思いを、自分の心の中に閉まっておくだけでは、辛くて、やり切れず、 文章で告白して、批判が来ることは承知のうえで、問いかけたものと考えています。 また私には全編に、氏の猫さんへの愛情が満ち溢れている気持ちが伝わってきます。 氏の問いかけに対して、いま、徒らに氏を批判する気持ちなど、私にはありません。 氏の問いかけは、私達の、今の文明そのものにあるからです。 捨てられた猫を不憫に思って自分が飼い、5・6匹飼っている人は意外に多いものです、また2.30匹も飼っている人も少なくありません。 こういう人は猫に避妊手術をするしかありますまい。(そうでないと人口爆発、イエ、猫口爆発を起こしてしまいます) 猫を愛しているからとか、好きだからとの感情は今、置いておくとして、一家族や一個人でそこまで多く飼うこと自体が、日本の伝統にはなかった、不自然な事象といえましょう。 (昔は幾らネコ好きでもそんな贅沢は、経済的にもできませんし、近隣からも許されません。 今、それが出来るのはなぜでしょう。 キャットフードは、どこの国で、どんな人々が製造しているのでしょう? (そこで働く労働者の多くは驚くような低賃金、ワシらの食べる物は日本のネコより質素なのか、と泣いて、怒っている人もいた) 貴殿が、皆さんが、もし猫さんに生まれていたとしたら、虚勢をされたいでしょうか、、、、、?。 避妊手術をされた猫さんたちは、アコガレの筈のグラマーネコやベッピンネコや、ハンサムネコの異性に対して、どのような態度、感情になってしまっているのでしょうか、、、?。 ネコさんについて その(3)へ続く。 #
by hiratomisinzo
| 2007-03-03 14:21
| 日々思うこと
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Comments(8)
子猫を崖から落として殺す、という発言をして社会的に問題になりましたが、はたして親猫を去勢するのが良いのか、子猫を殺すのが良いのか、もしくは猫を飼う行為自体が高慢(罪悪)なのか・・・・・ この答え、出ますかね?とみ新蔵様はどうお考えですか? とのコメントのぴょこたん氏へ。 ネコはネズミが増え過ぎたら飼うと、非常効果的です。 ネズミがあちこちをウロウロしなくなります(^^) 「ネコって有難いなあ」と思います。 でも日本の、こん日のネコは、ネズミを食べないどころか、追いかけもしないそうです。 いつもキャットフードで、腹が満ちているからです。 そして太り過ぎのデブ猫があちこちで見かけます。 私が少年時代にアチコチで見た猫と大違いです。 だからアレコレの病気になり易く、入院猫も多いです。 ネコにとってこれは「幸せなこと」なんでしょうか?、、、、。 また、猫を無責任に捨てる人も多いです。 メス猫を飼うと、どこかのオスがどうしてもやって来て、妊娠して、4・5匹の子供を産みます。 でもどの子もみんな貰い手が見つかるとは限りません、、。 私は少年時代、、手元に余ってしまった子猫の処置に困まり果て、無責任に捨てるのは忍びずに、親、兄弟にも内緒にして、殺めた辛い経験があります。 無責任に捨てるならば、自分で処理する、それが某小説家の言い分だったのかも、知れません、、ま、この点を詳しくは知りませんが、、。 猫さんについて その(2)へ続く。 #
by hiratomisinzo
| 2007-03-02 23:53
| 日々思うこと
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Comments(6)
「九相図」のこの絵を見て、酷いという人もいる。 そうかもしれない。 21歳の頃、オートバイの免許を取って、ホンダのカブを買い、奈良県中を走り乗り廻った。 鹿のいる奈良の誰も来ることのない奥山へも、一人でどんどん奥へ入って行った。 太い木々に覆われていて、辺りは薄暗く、縄文の昔を思わせるような静寂さだった。 フト座って一服していると、向こうに何か動くものがいる。 なんだろうと、そ~~~っと近づいて行くと、ワシに気づいた5・6匹のタヌキがいて逃げ去って行った。 そこには、死亡して腐乱臭を発した鹿が1頭横たわっていた。 臭くて鼻が曲がりそうだった。 腐乱死体を食べるタヌキは、森の掃除人なんだなあ、と思った。 ではそのタヌキが死ぬと、どうなんだろう考えた。 鳥や昆虫などもやって来て、死肉を食べるのだろうか、、。 その後には蝿などもやって来て、タマゴを生んで、子供のウジ虫がさらに腐敗肉を食べるのだろう。 その後は微生物が来て分解され、死体は土に帰納して、草木の栄養となる。 今思い出しても、自然ってうまく行っているなあとつくづく思う。 野生の生き物は皆「九相図」そのもの。 野生の反対語って何んだろう、、? 野生は「自然」と同義語といえる。 自然的の反対の言葉は「人工的」「人為的」「人造」など、みんな「人」が付く、、、。 「人」って何だろう。 人は一体何を考え、何をしてしまっているのだろう、、。 でも人の中には、今でも縄文や弥生人のような暮らしをしている人々もいるから、 一概には語れないが、、。 むしろ現代文明についての、思考分析が必要かも、、。 都会でカラスがごみ捨て場から残飯を引きずり出して食べると、それを目撃したオバサン達は怒る。 でもカラスは中の残飯を食べることで環境をきれいにしている。 もし、残飯がそのまま放置さたらどうなるのだろう。 そこから腐敗菌などが発生して、周囲にいる健康な生物の生命をも脅かすことになってしまう。 カラスは腐敗する前に食べて環境の浄化の役立っている。 そういえば私の小学校頃には家にゴミ箱がなかったような気がする。 お袋は生ゴミをどうしていたのだろうか、、。 空にはカラスや鳶(とび)をよく見かけたが、彼らが食べるのも多かったと思う。 巷には飼い犬もいたし、野良犬もいたしネコもいた。 もちろんドッグフードなどは、ずう~~と、後に出てきたもの。 残飯は冷蔵庫もないのに、実に少なかった。 紙類は皆、カマドの炊きつけにしていた。 薪木は買うこともあったが、あちこちから、木の枝や木クズを拾うのは子供の役割で、 私はこれをよくやり、母親から感謝された。 廃材などは拾うのは早い者勝ちで、私は見つけたら、自転車で取りに行って、乗せて帰って、斧や鉈で細かく割ってカマドの薪とした。 そのせいか、同じ年の子からみると腕力が強かった。 だがこれは中学二年辺りのなると、ピタリと必要が無くなった。 家に石油コンロが入ったからだった。 そのうちすぐにプロパンガスに替わった。 家にゴミ箱があったような記憶は、この頃からだった気がする。 でもゴミは大変少なかった。 大体、今のように品物に包装紙が殆どなかった。 店で買う果物類も、乾物物も、皆、測り売りだったから、余計な物を家に持ち帰ることもなかった。 だからゴミが少なかった。 今は生ゴミまで重油で燃焼させて、煙にして、空に帰らせている、、、、、?? 野菜などの生ゴミは元々、土から出てきたもので、土の栄養になるから、 土にお返しするものなのに、 何んてオカシナことになっちまっているのだろうか、、、。 栄養不足だからって、化学肥料をバラ撒いて、土壌を破壊しちまうだけでなく、複合汚染の、ヘンな野菜を毎日食べている。 そして今や世界一のゴミ大国日本。 産業廃棄物や一般家庭ゴミを含めると、ゴミ産業は年間20兆円ビジネス以上。 相当、クルってしまって、平気でいたようだ、、。 皆さんが、、? いいえ、私もです、、、。 私も次第に慣れてしまって、本質を見失っていました、、、。 慣れってコワイものデス、、。 その(6)へ続く #
by hiratomisinzo
| 2007-02-27 03:43
| 小野小町の九相図
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